2024年4月中旬、青森県今別町を訪れた際に水芭蕉を見つけた。
水芭蕉といえば、水の近くに生息していることが多い印象だった。しかしこの場所は、水源からは離れた場所に群生していた。ここに、水芭蕉とその歴史が隠されているような気がして今回はこれについて考えてみた。
結論だけ言うと、水芭蕉の繁殖は
①水の流れで繁殖する場合
②動物のフンから発芽して繁殖する場合
があるのだそうだ。
動物のフンでは、Wikipediaによると
「ツキノワグマはミズバショウの葉や花を食用とする場合があるが、これは冬眠後などに体内の老廃物等を排出するための嘔吐剤・下剤として食べるためであり、人間は絶対に真似してはならない。」
とあった。
この辺でもクマの目撃情報はあるため、この場所に群生している理由としては、クマが水芭蕉を食べて、それをこの場所で排泄したからではないかと考えられる。
クマといえば、本州にいるのはツキノワグマだが、ツキノワグマは30〜50万年前から本州に生息していた。この場所にいつから水芭蕉が群生していたかは不明だが、きっとクマの生息と共に水芭蕉も繁殖したのかと思うと感慨深い気持ちになる。
ここで、この場所について考える。
私が見つけたのは、津軽中山ラインという道路で、新幹線の駅で知られる奥津軽いまべつ駅の前を通る道路である。
水芭蕉の寿命について調べてみると、40年ほど生きる個体もあるという。
そもそも水芭蕉の歴史は、長く兵庫県の個体は1000年ほど前から生きていたとのことである。
この場所に群生している個体も長くから生息し、津軽中山ラインが開通に向けて開発が進んだ昭和の高度経済成長期からの時代の移り変わりを眺めてきたのだろうかとさらに感慨深い気持ちになった。
津軽中山ラインについて考えてみる。
津軽中山ラインは、中山山脈を通る道路である。
中山山脈は、日本大陸形成とともにできた山脈である。
中山山脈の南端にある梵珠山系の西側に発達した小河川流域では、須恵器を生産するために窯が築かれ生産が開始された。9世紀末葉〜10世紀初頭である。つまりこの頃から、この地域では人の活動があったのである。中山山脈を介した龍飛等への往来もあったのかもしれない。
水芭蕉の歴史、中山山脈の活用とその歴史を辿って考えてみた。もしかしたら、昔の人も4月頃になると水芭蕉を見て思いを馳せていたのかもしれない。調べてみて、心躍る気持ちになった。
参考文献
・Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/ミズバショウ
・津軽地方で生産された須恵器:https://adeac.jp/hirosaki-lib/text-list/d110000/ht030310
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